タネとアブラムシのついたブロッコリーの
そのまま育っている姿が、みんなにとって
ごくごくふつうなできごとだった。
だれも、アブラムシだらけのブロッコリーを抜こうとしなかった。
今朝、「今日はゴミ出しだなあ」と目が覚めようとうつらうつらをしているときに、
昨日の様子が浮かんできて、
ああ、そうだった、と思い出したのでした。
そのときは、わたしにもごくごくふつうなできごとだったので、
とりたてて喜ぶほどではなくて、そのまま通り過ぎていました。
昨日、ひょうたんの苗を移植したときに、となりの畝でまだタネをつけて枯れずにいるブロッコリープルプレアの枝を少し切りました。
ひょうたんを植える畝にはみ出している枝だけを切ろうね、といって。
「うひゃあ、たくさんあぶらむしがいる〜」とみんないいながら、だからといって、このブロコッリーをかたづけてしまうことにはならなかった。
それよりも、てんとうむしの話題になって、昨日は小さな虫好きの子供はおらす、大人の女性だけだったのに、てんとう虫とアブラムシの話やら、蚕の話。
わたしたちの様子、ブロッコリーも感じていたんでしょうね。
タネをつけたブロッコリーが今どんな人生の位置にあるのか、おじいさんなのかおばあさんなのか、わからないけど、なんとなく「ほう、ほう、そうかいそうかい」って目を細めて、アブラムシをたくさんうけいれながら、私たちをも見守ってくれている。
こんなふうに、巡る庭に来る友たちが、庭の巡りの中にいる。
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今日は、腐草蛍となるの候。
七十二候のなかでもっともドラマチックなことばのひとつ。
(古い中国の七十二候にはこれに類する壮大な自然の変幻についてのことばがあるけど)
ブロッコリーも、わたしたちも
朽ちて、うごめく何かに転生していく。
いや、朽ちるまでもなく、こくこくとこの身のいちぶを、他のイノチに差し出しながら生きていく。
いまいまにさしだし、さしだされて。
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