2016年2月29日月曜日

水、ダム

先日は、環境学科の先生がいらして、ねずみもちの木を片づけながら、
おのずと黒部のヘドロ問題などから、ダムの話題。

人間も、植物たちも、水がなくてはいきていけないので、
農耕にも都市の生活にも水を使えるような工夫がなされています。
そのひとつというか、多くがダムからの水道設備でまわなわれています。

ダムのこと、みなさんはどう考えていますか?
水源というだけでなく、水力発電というものもあるので、
原子力発電とのかねあいで、どう考えるでしょうか?
上記の黒部のヘロド問題は、出し平ダムで起こっています。

水車とかもありますね。

巡る庭では、なるべく植物への水やりが最低限になるように、植栽していますが、
雨水の活用がまだです。
ぼうふらの問題もあって、公共の施設なのでやりにくいのですが、
工夫の余地はあります。

水がふんだんにある風土ですが、水道をくまなくはりめぐらすために、ダムがあって、
そのダムをつくるために、どういうことが起こってきたか。

日本人、水、使い過ぎですよね。
「水に流そう」「湯水のごとく使う」っていいまわし、砂漠にはないでしょう。

私事ですが、うちの古い水洗トイレ(タンク式、:私より年上!)が部品老朽化のため、ちょっと水がもれるので、タンクへの給水を止めています。
用をたしたあとは、なるべく台所の洗い物の水やお風呂の残り湯を使って流しています。
自分でたらいに水をためると、新しい水、飲める水を、自分の排泄物を流すのに使うことがためらわれます。極論ですが、このために山や村がなくなっていったのだ、と思い当たるのです。

でもね、
ほかの場所で用をたすと、楽だなあって、思います。
瞬時にすっきるするんだわ、、、。

先日、ちょっと体調をこわしたときは、水を運ぶのがしんどくて、そのときは一日タンクに水をためました。
このおかげもあって、たくさん水分をとって、流して、元気になれました。
ありがたいなあと思うと同時に、今後どうしていこうか、と悩みます。
トイレの装置の老朽化のおかげで気づかされたので、無駄にしたくないのです。

技術を実行するには、想像力が必要だなあ、と、我が身を省みます。
家の中でも、個人でも見直せる技術がありますね。
新しい装置を買わなくてもできることが。

工夫、工夫といとも簡単に同じことばを繰りかえしていますが、
工夫こそが、生きること。
私たちより先に地球にあらわれた植物や動物たちはずいぶん工夫をしてきました。
まぐれの進化もあるのかもしれないけど、それもふくめて工夫ではないか、と。

後進ものの人間の工夫はこれからなのでしょうか。
工夫し続ける、大きな想像力をもって、身近なところから、と感じた日でした。

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