冬は魂の夏、
葉を落とした分だけ、うちにたくわえる何か
葉を落とせば落とすほどあらわれる
わたしが葉を落としたらどんな輪郭が残るのか。
落とせば落とすほどくっきりとあらわれるシルエット
光がうつしだす影
あなたという光に照らされてわたしがたちあがる
たがいに てらし うつしあう
冬籠り、しながらさめざめ目覚めゆく
太平洋側の冬はこんな |
鉛色の空っていわれても、東京では想像しがたいかもしれないけれど、
日本海側の冬は、来る日も来る日もグレーで、
それが灰色というよりも、鉛色というほうが、
色に重さのニュアンスが加わって、ぴったりだと、高校生のころにうなずいた。
ちょっとませた男子が、鉛色の空を描いた詩を書いていた。
18歳の冬は、みんなが受験で明るくはない冬だったはずなのに、
わたしはようやく進路を決めて、絵画塾に行きはじめて、
すごく遅れていたのに、うれしかった。
鉛色の詩には、「親の敷いた線路を走るのはいやなんだ」ってあった。
それまで知らなかった友人たちの、家庭事情が感じられて、
学力の差よりも境遇の差のきびしさ、を知っていった時期。
青空の東京でも、10代後半の子たちには鉛色の空があったりするのかも。
かけがえのない空の色と重さ
差はいつか、彩りになる
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