2016年8月6日土曜日

人の力をこえたもの、野放図な力


今日は年中行事となった藍染めでした。
藍を育てることからはじまった巡る庭。
毎年繰り返しているけど、毎年同じでない行為から、見えてくるものがありますね。
子供たちは、連続してくる子もいて、その育ちを感じられる場合もあるけど、
たいていは通りすぎていく。
もしかしたら一生のうちで一度だけの藍の生葉染めかもしれない。
わたしたちとも一度だけ、生身であうのかもしれない。


この藍の色、魂の色ともいわれる青に、人生をはじめたばかりの人たちと染まるのは、この上ない喜び。


私たちの藍は、買った肥料はほどこさず、刈った草を置くだけです。
(あまっていたりいただいた培養土を少しかけることはあります。
一度、豚糞肥料をいただいて入れたことが初期にありました。けれども、翌年土のバランスが崩れれる現象がおきました。)

豚糞の失敗はべつとして、江戸時代のように、金肥をほどこせば、大きく育つのですが、あえてそうはしていないのは、藍の素直な色に会いたいからです。
なんかそのほうが、清らかな色のように感じます。
どうでしょうか?
清いのだけど、力があるような。

たとえば、野草を少しいただくとどうしてあんなに力がわくのか。
それと同じようです。

そしてブドウも。
今日もグラウンド側に、野放図にのびているデラウエアを食べたのですが、
日を追って変わっていく味もふくめて、
人が管理せずに育つものの力を感じます。

ほんとにおいしいんです。食べると元気になるんですよね。

このブドウは人のそばに暮らしているので、あるていどは私たちの手が入ってもいるのですが、でもブドウの意志というか、そういうもののほうが強い。
スズメとわけあっているっていうのも、あるかもしれない。
日本刺繍をお仕事にされているりょうこさんは、絹糸を染めてくれました。
さすが絹糸だけあって、みるみる色がうつっていく様子に子供たいもためいき。
この糸で刺繍をされるそう。夏帯に刺そうかしら、と。
(撮影はともみさん)


世話をするのと、いじくりすぎるのとは違う。
そのものの力、子供でも植物でも、自分でも、その野性の力がすーっとのびていった先、
そこに出会えるのが、生きている喜びです。

野性こそ個性というべきか。

藍もブドウも栽培種だし、子供も社会の中でそだっていく。
でもそのなかに、なまはんかな人のはかりしれない野性はある。

藍とブドウとこどもが、教えてくれた、猛暑の日。


こんな藍の花にあえるのはいつでしょう






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