藍を育てることからはじまった巡る庭。
毎年繰り返しているけど、毎年同じでない行為から、見えてくるものがありますね。
子供たちは、連続してくる子もいて、その育ちを感じられる場合もあるけど、
たいていは通りすぎていく。
もしかしたら一生のうちで一度だけの藍の生葉染めかもしれない。
わたしたちとも一度だけ、生身であうのかもしれない。
(あまっていたりいただいた培養土を少しかけることはあります。
一度、豚糞肥料をいただいて入れたことが初期にありました。けれども、翌年土のバランスが崩れれる現象がおきました。)
なんかそのほうが、清らかな色のように感じます。
どうでしょうか?
清いのだけど、力があるような。
たとえば、野草を少しいただくとどうしてあんなに力がわくのか。
それと同じようです。
そしてブドウも。
今日もグラウンド側に、野放図にのびているデラウエアを食べたのですが、
日を追って変わっていく味もふくめて、
人が管理せずに育つものの力を感じます。
ほんとにおいしいんです。食べると元気になるんですよね。
このブドウは人のそばに暮らしているので、あるていどは私たちの手が入ってもいるのですが、でもブドウの意志というか、そういうもののほうが強い。
スズメとわけあっているっていうのも、あるかもしれない。
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日本刺繍をお仕事にされているりょうこさんは、絹糸を染めてくれました。 さすが絹糸だけあって、みるみる色がうつっていく様子に子供たいもためいき。 この糸で刺繍をされるそう。夏帯に刺そうかしら、と。 (撮影はともみさん) |
世話をするのと、いじくりすぎるのとは違う。
そこに出会えるのが、生きている喜びです。
野性こそ個性というべきか。
藍もブドウも栽培種だし、子供も社会の中でそだっていく。
でもそのなかに、なまはんかな人のはかりしれない野性はある。
藍とブドウとこどもが、教えてくれた、猛暑の日。
こんな藍の花にあえるのはいつでしょう |
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