2015年11月26日木曜日

月に捧げる花と色 花をたてて、人は癒される



 ともみさんの写真より






nさんの感想+++++


紀佳さんの朗読のなか、塚田さんが花を生けるその空間が、いちばんこころに残りました。
うつくしくて、なにか神聖なものを感じて。
この空間にいられることがうれしくて、とてもぜいたくな時間でした。

花所望という試みも、おもしろかったです。
みんなからひとつずつ選ばれた草花が、塚田さんの手によってそれぞれ存在を生かされ、大きなひとつの作品にまとまった時、はっとするうつくしさに思わず息をのみました。

また「すくう」の本のすてきなこと!
ひとつひとつ読んで、お話を聴けたこともよかったです。
塚田さんからすくいとられたお花も、紀佳さんからすくいとられた言の葉も。

花を掬う、救う、透う…
花を摘み束ねながら、それらのことばと、きのうの月を想っていました。

あたらしい仕事のことで、こころがとげとげしく、くしゃくしゃに小さく丸まっているところに、ふと見上げると月があって、ふっとこころを掬い上げられた気がしたこと。
それを思い出しながら、花をすくっていると、くしゃくしゃになったこころを少しずつ広げるように感じたこと。
わたしが掬ってるつもりが、掬われ救われているように感じました。

まさに、塚田さんが言われていた「花を立てることで人を直す」というお話は、こういうことなのだと、後から気づきました。

今日は、桜の葉のうつくしい色にうっとりし、染めでそこから出てきた月の色におどろき、さまざまな草花の香りにつつまれてほんとうにしあわせな時間でした。

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花とコトの葉。
花は葉が進化したものなら、いつかコトの花になる??

照れくさいところもありますが、わたしたちもいい時間でしたので、nさんの私信を了承を得て掲載いたします

今日、代々木公園の黄色い銀杏葉につつまれて、ときには「団子よりも花」で生きたいとほんとうに願うなあ、と思い、でもけっきょく花も団子も同じなんだと思って、一人にやりとしました。

なぜかいそがしいこの日々を、どうにかたてなおしてくれるのも花ですね。
野草を料理することと、野の花をいけることって同じですね。

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そしてつづいて
花束をもちかえった方のパートナーさんが、その花束を見て
(この花束の画像お持ちのかた送ってください)
月にむけた詩と、花にむけた詩を書いてくれました。
(お庭に何度もきてくれている男性です
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月が出ていた。
もうすぐ満月だね
っていったら
あれは十三夜
って教えてくれた
満月と三日月しか知らないボクには
あの月は満月前の不完全な月。
でも
満月直前の月に
名前をつけて
暮らしてる人がいた。
月だって
キミはいま
十三夜だねっていわれれば
すこし、かけているいまでも
役目があるみたいで
ほこらしいかもしれない





六ヶ月前まで隆盛を極めたドクダミは
ネズミさま御用達の亀の子束子になって
日陰にひょろりとたっている
しょぎょうむじょう
しょぎょうむじょう
六ヶ月後にもういちど
隆盛を極めるべく
土の中では準備が進んでいる
えいえんふへん
えいえんふへん
いま、寂びたあじわいの束子は
ネズミがコップ洗いにつかってくれる日を
まっている
たぶん
クリスマスパーティーあたり


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冬の月は、三日月も十日月も、そしてこの満月も、寒さにますます強く光ります。
眠っていて、なんだか胸騒ぎがする、と思ったら、月の光が刺しています、今夜も。

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